昭和

2009年10月17日 (土)

北村大沢楽隊 《疾風怒濤 !!!》

Kogakutai01 Kogakutai02
 《疾風怒濤 !!!》
 "STURM UND DRANG" old times brass band 
  北村大沢楽隊
   ( off note ON-57  CD-JAPAN )


 数年前、たまたま、テレビ(CS)のニュース番組で、ローカルな話題としてこの楽団を紹介しているのを観た。
 その5分か10分かの時間、私はテレビの画面に釘付けになり、そのあとも、すごいものに接した感激がしばらく醒めず、呆然となったものである。

 CDが出ているらしい。即オーダーした。

 届いたCDが鳴りだしてほどなく、私はあまりのうれしさに吹き出してしまっていた。
 エンタメの原点、音楽の原石のようなものがそこにはあった。そして〝ニッポンの元気〟のようなものも。
 そうしてそれらが、まるで崖の落石のようにゴロゴロと転がり落ちてきて、その一つ一つがことごとく私の心臓を直撃したのである。

 これを聴いて、音程がどうの、ヘタクソだのなんのと言うのは無粋というものであり、そういうひとには、音楽というものをわかってはれへんな、と強引なことを言ってしまいたい。
 魂だ。それでじゅうぶんではないか。
「耳で聴くな。身体で聴け」とでも言いたくなるような音楽である。

 ここでは、適当なカテゴリーがないので「ジャズ&フュージョン」にふっておいたが、ほんとうはこのアルバム、そんなものは超越してしまっている。強いていえば、〝ジャパニーズ・フォルクローレ〟とでもすべきかもしれない。
 なにしろ、音楽の原石なのだから。

 演奏は北村大沢楽隊。
 メンバーは、宮城県石巻市の北村大沢地区において、普段は農業に従事する男たち。
 楽隊結成は大正時代にさかのぼる。ここまでにメンバーの入れ替わりがあったが、そのスピリッツは冷めることなく受け継がれてきた。
 ディスクでは、彼らに目をつけた《ちんどん通信社》のメンバーも演奏に参加している。
 音楽の合間に、たとえばこんなやりとりが聴かれる。

  ちんどん通信社・林氏 「今のはなんて曲ですか?」
  楽隊メンバー 「わがんね(わからねえ)」


 帯にある「コノオトコタチ、過激ニシテ愛嬌アリ」のコピーが秀逸。
 「過激にして愛嬌」はそのとおりと思うが、私はそれ以上に、彼らの音楽が運んでくる、どことなくのどかな、なつかしい空気に惹かれる。
 ジャケの写真がまた表裏ともにカッコいい。内容とも、メジャーレーベルが忘れてしまったこだわりを感じさせている。

 このディスク、聞くところによると、音楽雑誌で、〝0点〟をつけられたそうな。
 けっこうじゃないか!

 廃盤にしたくないCDだ。

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2009年10月 7日 (水)

今井美樹  "retour"

Imairetour16
"retour" ( 1990 )
 歌 / 今井美樹
     ( FOR LIVE FLCF-31078  CD )


「今井美樹のような」――。
 そうたとえるしかないようなすてきな歌声がいい。そこに生まれる空気感がいい。そのやさしい雰囲気につつまれる感覚がいい。

 たとえば、岩崎宏美が、そのカヴァー・アルバムで今井美樹の『PRIDE』をうたっている。
 岩崎宏美は超一流であるが、やっぱりこの唄は今井美樹でなければ、響いてこない。
 今井美樹のうたう唄は今井美樹のためにできている。『PEACE OF MY WISH』など、ほかの歌手がうたえば、説教がましく聞こえてしまい、私ならディスクを放り投げかねない。

 ただ、"Lluvia"に続くアルバム"flow into space"で、私自身はほのかな違和感をおぼえた。そして、"A PLACE IN THE SUN" で、自分が求めているものから離れてしまったな、という決定的なものを感じ、それを最後に、彼女のアルバムは買っていない。
 したがって、私の愛聴するのは、主に、90年代前半までの彼女となり、もっているのは11枚。ライヴ盤が欠けている。会場の熱気など必要ないのでは……と考えて見送り、そのままになった。
 いずれにも魅惑曲がふくまれていて、1枚もはずすことはできない。アルバム〝retour〝 は代表として挙げたにすぎません。
 
 デビュー・アルバムの "femme" から5枚目の"mocha" まではアナログが存在。
 "mocha"は、時代がCDにほぼ移行しとげたらしき時期に出たため、プレス枚数もすくないようだ。私もアナログでもっているのは最初の4枚まで。
 特別愛惜ナンバーを思いつくまま列挙すると、『夏をかさねて』 『黄色いTV』 『retour』 『野性の風』 『Lluvia』 『笑顔』 『とっておきの朝を』 『flow into space』 『半袖』 『瞳がほほえむから』 『PEACE OF MY WISH』 『9月半島』……まだまだある。

 サラリーマン時代――。
 ゴールデンウイークがひと月後にせまり、私は会社に対し、GW10連休を要求した。出勤は暦どおり、と聞かされたからである。
 大型連休を利用して北海道に行くつもりだった。その会社に就職したおかげで、毎年続いていた北海道行が、前年にとぎれていた。
 先輩社員からは、みんなをはたらかせておいて自分は休みか、と至極当然な顔をされたが、意に介さなかった。
 結局、休みまで毎週土曜出勤など、あれこれ交換条件を提示され、それらをすべて受け入れることで手を打った。
「すんませんなァ」
 私は笑いをこらえながらそう言い、その場でフェリー会社に電話を入れ、チケットを押さえた。

 GWの北海道はメチャメチャ寒く、内陸部は残雪がどっさりであり、雪上にテントを張らされたりもした。キャンプ場はどこもかしこもガランとしていて、心細いことこのうえもない。
 今なら願ったり叶ったりのシチュエーションであるが、当時はまだ年季が足りなかった。
 酒と音楽が心強い相棒だった。その音楽も、クラシックやジャズには手が伸びない。私が聴いていたのは、人の歌声ばかりであり、その中心となっていたのが山下達郎、そして今井美樹だった。
 焚き火の前でホットウィスキーをやりつつ、同じカセットを毎夜、繰り返し聴いていた。時代はすでにCDになっていたが、電池の消耗度の低さでカセットのほうがまだ圧倒的に優位だったのである。

 カセットは、やがてCDになり、今やオーディオ・プレーヤーになった。しかし、キャンプで聴く音楽はほとんど変わっていない。
 今でも北海道に行くと、今井美樹の『retour』なんかを聴きながら、あの正味一週間のうち5日間が雨だったゴールデンウイークを思い出したりする。

 キャンプの夜に、バッハやベートーヴェンがなくてもかまわない。だが、今井美樹がなければ困る。もし、聴けないとなると、ヘタすりゃ、キャンプ自体を中止することになる。
 


 【シャコンヌ狂時代】
 アリーナ・イブラギモヴァ Alina Ibragimova ( I )  クリストフ・ポッペン Christoph Poppen ( P )

 

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2009年9月30日 (水)

坂本九 『上を向いて歩こう』

Sukiyaki

『上を向いて歩こう』 ( 1961 )
 歌 / 坂本九  詞 / 永六輔  曲・編 / 中村八大
  (東芝音楽工業株式会社 JP-5083  EP)


 幼いころ、母親について、ひと駅離れたスーパーまでよく買い物に行った。
 親が食料品などを買いあさっているあいだは退屈なので、ほかの店をのぞいて時間をつぶした。

 2階の〝専門店のフロア〟には、本屋からスポーツ用品店まで、さまざまな店が集合している。雑貨店、今でいうアクセサリーショップなどもある。
 装飾された小箱が十ばかりならんでいた。
 オルゴールだった。
 なかに一つ、お気に入りがあって、その店へ行くたびに、そればかりいじっていた。曲がよかった。
 結びつけてあるタグに曲名が記してある。ヘンな名前だ。
 『上を向いて歩こう』――。
 そのオルゴールがほしくてならなかったが、ガキにすればやや高額な品で、そう簡単には手が出ない。

 ある日、親戚の人がウチを訪ねてきた。夏の暑い時季で、1泊か2泊して帰った。
 帰り際、小遣いをくれた。千円札を一枚。
 五百円あれば、たいていのものは買える、そんな気分になる時分の千円だ。分不相応な額と言っていい。
 あのオルゴールのことを思い出していた。

 数日後、一人で出かけた。
 すでに夕刻だった。明るいうちには帰ってこれないのはわかっていたけれども、がまんができなかった。
 スーパーに到着する。2階に駆け上がる。アクセサリーショップに直行、オルゴールを手にする。そのままレジに持って行く。
 店員が、動作確認のためだろう、オルゴールのフタを開いた。砂金のような音色がこぼれ落ちた。
 驚いた。
 『上を向いて歩こう』ではない。デザインがまったく同じで、気がつかなかったのである。

 取り替えをたのんだ。売れてしまった、と女性店員は言う。ずーっと置いてあったのに、と文句をつけた。だが、ないものはどうしようもない。
 納得できず、しばらくそこで踏んばった。店員は困ったような顔で私を見おろしていた。
 そのうちまた入ってくるから。やがて、そんななぐさめの声が聞こえた。
 ふてくされて店を離れた。

 外に出るとすっかり暗くなっている。泣きたい気持ちだった。

 ♪上を向いて歩こう
  にじんだ星をかぞえて
  思い出す 夏の日
  一人ぼっちの夜


 だいぶあとになってから、そんな歌詞を知った。あのときの自分そのものだったことに驚いたものである。

 

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2009年6月22日 (月)

パパイヤ - 八重山2008 その23

Yubu04papa58
 

 パパイヤってうまいんだろうか。

 それはさて置き、その名を聞いて、思い出すのはやっぱりコレ↓。
 栗原景子はワタシより一つ上かそこらだったと思うが、今観ても、ハッキリ言って、いいですなァ。
 今、どうしてるんだろう……と想像もしたくない。このひとは、今もこのまま、永遠にトシを取らない、そう思っていたい……(笑)。
 YouTubeより拝借いたしました(※それにしても、こんな映像をよく残してたねえ、投稿された方……感心&感謝)。
 
 


  
 
 

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
 place: 由布島

 

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2009年3月25日 (水)

キャンディーズ

Candies582
 
 四天王寺のお大師さんにて。
  

 SONY α350
 TOKINA AT-X Pro AF80-200mm F2.8
 place: 四天王寺

 

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2009年3月12日 (木)

続々・メタルインドカレー - レトルトパック登場

Metal0358

 メタルインドの需要、および供給がかなり安定してきたらしく、なんと、あのナツメロ(※♪メタル~インド~カレェ~……というやつ)さえ聴かれるようになっている。テレビCMが流れているのだ。
 テレビ嫌いな私ですら、あのフレーズを耳にしたということは、その確率を考えると、なかなか積極的に活動しているようであり、ひじょうによろこばしきことであるが、それによって、メタルインドの魅力の一つであるマイナーぶりが色あせはしまいか、という懸念もある。
 いずれにしても、あのフレーズが21世紀の薄型テレビから流れ出してくるとは、まことに感無量というほかはない。
 そんななか、メタルインドのレトルトパックが登場。それを安売りスーパーにて発見し、さっそくゲットした。購入価格は78円だったか79円だったか、そんなところである。これはじゅうぶん百均圏内の価格設定であるから、遠からず巷間の百円ショップで出くわすことになるかもしれない。
 
 結論から述べると、このレトルトメタルは「問題あり」といわざるをえない。
 ちなみに、私の買ったものは〝辛口〟である。
 メタルインドの魅力は、マイナーであること、とびきりうまいわけではないこと、色が今どきめずらしくライト・イエローを呈していること……などなど、ある種のもの足りなさ、B級ぶり、マイナス面が時代に逆らった個性を発揮しており、玄人受けしてきたヒミツであるのだが、このレトルトは、固形版よりも複雑な色――つまり明るい黄色ではない――をしておるうえ、味にしても、「いかにも」なものに仕上がっている。いわばよそ行き、メジャー志向がみてとれるわけで、これは誤った方向である、と製造・販売を手がける大同株式会社には指摘しておく必要がある。
 つまり、「もの足り」ているのである。固形版にくらべて、無個性にまとまっているのが、私にはおもしろくなく、潮流に迎合しているような、地元企業が本社を大阪から東京へ移してしまったようなつまらなさを覚えた。

 さらに不満爆発なのが、このデザインである。とくにその配色だ。赤が基調になっている。なんだんねんこれは? メタルインドならベタベタな黄色と茶色の2色でアピールしなければならないはずではないか……とヒートアップしかかったところで、ひとまず冷静になり、大同株式会社のHPをのぞいてみたところ、中辛も出ており、そちらはほぼ文句のないものになっていた(※茶色がちょっと薄いが)。
 ただ、インド人らしきイラストが描かれているのが、さわやかすぎる。これももっと謎めいた、「怪しいインド人」にすべきだ。
 辛口にしては、香辛料の攻撃力はきわめて低劣で、このあたり、さすがはメタルインドともいえる。

 とにかく、もっとB級色を強めてもらいたいものだ。これならまだ、ボンカレーのほうが昭和の風味をたたえているかもしれない。
 このレトルト版メタルインドは元来の函入りメタルインドとは似て非なるもの、別ものといってよろしかろう。
 メタルインドを愉しみたい者には、なかでもメタルインド入門者へは、このレトルト版は余計な寄り道になり、誤った認識を植えつけてしまうに違いない。函入り固形ルウのなかにこそ、メタルインドの真髄は隠されている――と言っておきましょう。


【参考】
 メタルインドカレー → 
 続・メタルインドカレー → 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)

 

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2009年2月24日 (火)

初恋

Autumnleaves58_2

 カメラをさげて散策するとき、いつもiPodを携帯している。
 村下孝蔵の『初恋』を聴いていた。
 そのとき、ちょうど目に映ったものが、唄に合っているような気がした。
 少女のような紅色に惹かれた。


 ♪名前さえ 呼べなくて
  とらわれた心 見つめていたよ

   『初恋』 詩/曲 村下孝蔵 ( 1983 )


 いい唄です。
 

 SONY α350
 SONY 135mm F2.8[T4.5] STF (SAL135F28)
 place: inagawa, hyogo

 

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2008年12月29日 (月)

さよなら、フェスティバルホール

Festatsu0258
  

Fes0658
 

 12/28、山下達郎のライヴを聴いた。私は12/18にも聴いているので、今ツアー2度目となる。
 しかし、この日は特別な意味があった。
 彼にとっても、聴き手である私にとっても最後のフェスティバルホールとなったからである。
 要するに、「フェスを残せ!」という共有の、しかしむなしいことは重々わかっている叫びがあり、それが最高潮に達した日だったワケだ。
 今回のタツローのツアーは、フェスティバルホールが年内で最後、というのが大きな動機になっている。彼自身がそう公言している。

 フェスにおける興行は29日、30日の大阪フィルによる『第9』ですべて終了となる。
 白状すると、私は、正真正銘のファイナルである30日の『第9』チケットをダフ屋から入手してでも聴くつもりになっていた。
 もはや現役指揮者による『第9』に興味はなく、見送っていたのが、ここに来て、私が最初にここで聴いたのは1975年12月、ちょうど33年前であり、そのときも、大フィルの『第9』だったので(※指揮はハンス・ブリューマーという人)、最後もやはり『第9』で……という思いが強まってきたのだった。
 だがゆうべ、コンサート会場をあとにしたときには、もうそんな気は雲散霧消していた。これを自分の最後のフェスの思い出とし、この余韻を墓場までもってゆこうと決意したのである。
 それほどタツローのライヴはすばらしかった。

「これからどこでやるか。まあ、また考えましょう」
 タツローはあきらめの口調でそう言った。まるで追い出され、行き場をうしなった者のようだった。
 実際、追い出されたようなものではあるまいか。ミュージシャンも、われわれも。

 いったん休館、とか、建て替えるだけ、というような説明がある。あたかも、ホールはなくならない、と言いたげだ。寝言は寝てから言いなはれ、と言いたい。
 それは同じ場所に建つというにすぎず、現フェスティバルホールとは無関係な、まったくあたらしい謎のホールとなる。人で言えば、同姓同名の人物をもってきて「同じ人間です」というようなマヌケな理屈である。

 この11月か12月、公演中に、自分が大富豪だったら買い取って庭に移築すると言った歌手がいた。ステージに口づけをした歌手がいた。スクリーンに向かって敬礼をした歌手がいた。最後という思いがつきあげてきて涙した歌手がいた……そんな話が伝わってきている。

 音楽家や役者あってのホールではないのか。

 残すべきだった。

 さようなら、フェスティバルホール。
 

Fes0758
 

Fes0158
 

Fesnight58
 ↑帰り道にみた堂島川
 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)
 place: osaka festival hall
 date: Dec. 28, 2008

 

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2008年12月 7日 (日)

お宝テープをCD化 - ボベスコのブラームス/ヴァイオリン協奏曲

 以下、いささかマニアック、また結果的に、独善的、自慢めいた話になる。さらに冗長である。つい気が入ってしまった。何卒ご容赦ください。


 先日、がらくたをまとめた段ボール箱のなかから、古いカセットが出てきた。
 HITACHIの"LOW NOISE C-90"(すなわち90分テープ)。ケースはない。ハダカのままだ。
 これには記憶があり、たしか、昔のアニメの主題歌が入っていたはず……と、なつかしがって、カセットデッキにセットして再生してみたところ、果たしてそうであった。
 ところが、ずさんきわまる管理だったせいで、テープが傷んでおり、音はボロボロ。鑑賞に堪えるものではなくなっていた。
 そこでにわかに、ほかのテープが気になりだした。とくに音楽番組を録音した(※いわゆるエア・チェック)もののなかには、1回コッキリの放送でソフト化もされず、聴く手段がそのテープのみ、というのがある。

 真っ先に頭に浮かんだのが、ローラ・ボベスコの大阪公演をエアチェックしたカセットテープだった。ブラームスの協奏曲が入っていた。
 ひじょうに貴重な記録だ。というのは、彼女はこの曲にもっとも自信をもっていたにもかかわらず、ついに正規録音を残さなかったからである(※プライヴェート盤が出ていたが、全3楽章完演ではなかったはずで、たしか第1楽章が欠けていた)。
 もしかすると、あれも悲惨なことになっているのではないか……。

 私はあわてた。なにしろ、だいぶ長いこと再生していない。しかも、C-120(120分)に入れてあった。
 C-120というのは、長いテープを巻いてもかさばらないようにするため、テープ厚を薄くしてある。したがって、テープの強度が落ちており、結果、切断・変形などのトラブルを起こしやすいという弱点をもつ。
 片面に1時間番組を途切れ目なく録れる長所があるかわり、そういった短所をも併せもっているわけだ。
 このボベスコのブラームスも、当時、朝日放送でやっていた『百万人の音楽』という、およそ1時間の番組をまるごと録ったものだった。

 試聴してみた。20数年ぶりの音である。
 放送では、演奏の前に司会の芥川也寸志&野際陽子と、ゲストの山口勗氏によるトークが入る。
 それを聴いていると、途中でとんでもないワウが発生したりする。それでも人の会話であるから、内容が聴きとれれば、まずはよい。
 だが、それが音楽となるとそうはゆかぬ。

 いったん停めて、テープを調べたら、案の定だ。いわゆるワカメ状になっている。
 すでにして再生にたえられるかが危惧される状態といえた。場合によっては、2回目のプレイバックは無理かもしれない。
 そこで、のっけからパソコンにつなぎ、デジタル化しつつ聴くことにした。
 かかってくれれば、まだマシだ。途中でテープがちょん切れたりすれば万事休す。そんな思いで再生ボタンを押した。
 祈るような思いで聴きつづけていると、だんだんワウの発生率が下がってきたようだった。音の乱れがたまにしか起こらなくなってきた。
 と突然、テープが停止した。ふたたびカセットをチェック。テープがからまったり、切れたりはしていない。どうやら、一部テープどうしがくっついていたようだ。そこで、できるだけ刺激を与えたくないところを一か八かで、最初まで巻き戻し、さらに早送りと巻き戻しをして、テープ全体をほぐすことにした。
 これが奏功したようで、今度は途中で停止することなく、最後まで再生できた。

 さいわいなことに、肝心の演奏中、音の崩れは数度きりにとどまり、胸をなでおろす。
 AMから録った。音は悪い。当時はステレオ放送はおこなわれていない。
 それでも、ボベスコのヴァイオリンは、ダイナミックレンジのせまいモノラル音声をものともせずに届いてきた。その音色は彼女ならではのもの。気品にあふれ、みずみずしく、優雅であたたかい。そして、しなやかだ。ときとして慟哭するような哀しい叫びがある。
 演奏者と曲名のアナウンスがあり、そこで録音は終わっていた。

 このテープ、あと何年も放置していたら、と思うとゾッとする。
 音はすぐさまCDRに焼きつけた。こちらも寿命については未知数とされるが、カセットのままよりかはずっと安心感がある。
 とりあえずは、ひと安心か。

 この日の演奏をフィリップスがレコードにするつもりだったが流れた、と聞いた。テープは残っているに違いない。フィリップスにやる気がないのなら、Altus、OTAKEN、OPUS蔵、グリーンドア……どこでもいい、発掘に乗り出してくれぬものか。

 ボベスコは2003年9月に亡くなった。
 私が彼女の死を知ったのは、その日よりすくなくとも数ヶ月経過してからのことだった。日本のマスコミは彼女の死にまったく無関心だったのである。
 当時、追悼盤が出た記憶もない。どころか、彼女の死後、新盤(新発見盤)といえば、プライヴェート盤で出ていた〝サロンコンサート〟の復刻、バーバー、ヴュータンの第5協奏曲がそれぞれほかの演奏のフィルアップとしてリリースされたにすぎない。
 ただ死の前年、TDKが売り出したリサイタル盤は快挙と言っていい。
 ヴュータンの第5協奏曲といえば、来日時にNHK交響楽団との協演があった。電波に乗ったので、録音なり映像なりが残っているはずである。
 来年にも、そのCDなりDVDなりを手にできることを願っている。

 最後に――。
 貴重な録音をカセットテープで架蔵しておられる方は多いだろう。ただ保管してあるだけ、という私のようなズボラな人は、今一度チェックされることをおすすめしておきたい。


 【関連項】……『ボベスコのこと』(おもに上記コンサートの思い出話です)→

 
Bobescocdr58
 ↑CDRの完成。手塚幸紀&大阪フィルとの協演。ディスクナンバーは"FeFeFe's Bar lb-02"とした。"lb-01"は同日に演奏されたベートーヴェンで(※これも放送された)、そちらはだいぶ前にCDR化済。
 ちなみに、カセットテープは日立マクセルの"UD C120"。音楽用ではないようだ。
 まあしかし、写真だけなら、カルロス・クライバーの『第9』だって可能なワケで……(苦笑)。


  Brahms: Violin Concerto in D Major, Op.77
  Lola Bobesco(vn)  Yukinori Tezuka / Osaka Philharmonic Orchestra
  ( FeFeFe's Bar lb-02  CDR )
  ※まことに申しわけありませんが、この音源の譲渡・貸出等はできませんので念のため。
  

 SONY α350
 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC

 

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2008年11月20日 (木)

藤谷美和子

Fm58_2
 

 「藤谷美和子のファンだ」と言うと、周囲が笑う。
 笑いが返ってきはじめたのは、彼女の奇抜な言動が、芸能ニュースなどを通じて世間で取りざたされるようになってからである。

 酒場で映画の話になる。好きな女優は?
 年配者A。「マレーネ・ディートリッヒがエエな」
 年配者B。「オードリー・ヘップバーンやろ」
 中年A。「ニコール・キッドマン」
 中年B。「ジュリア・ロバーツ」 
 若手A。「メグ・ライアンですね」
 fefefe。「ふ、ふ、藤谷美和子」
 ミナサン。「…………」
 ここで座が沈黙するのはなぜだろうか。
 
 タレントなどのファンになると、当の本人とお知り合いになりたい、あるいはもっと親しい間柄になれたら……などと、おめでたいことを夢想するものであるが、私は藤谷美和子に対して、そういう感情をいだいたことが一度もない。
 まことに純粋なファンと言ってよかろう……と言いたいところであるが、映画はまったく観ていないし、CDも一枚ももっていない。となるとこれは、むしろ、ファンと自称する自体、おこがましいことになるのかもしれない。
 写真集は2冊もっている。だが、自分で買ったものではない。友人らが、たのみもしないのにくれたのである。「これはおまえにもっておいてほしい……」と形見の品をあずけるような心境だったのか。

 高校時代、ラグビー部だった。部室のロッカーに藤谷美和子のグラビアを切り抜き、貼り付けていた。
 拓殖大学(東京)のラグビー部に所属している先輩がいた。
 高2の夏の合宿のとき、帰省したその先輩がオレらの面倒をみにやって来た。オレのロッカーを見て、「おまえ、藤谷美和子のファンか。よし、サインをもらってきてやる」と豪語した。拓大キャンパスは、美和子の出演する青春ドラマのロケ地だったのである。
 「ホ、ホントっすか。お願いしまっす」ととりあえず、オレは頭を下げた。まったくアテにしていなかった。
 どうせムリだろう、と思っていたら、なんと!
 ……やっぱりムリだった。
(※その後卒業し、そんなことはとっくに忘れていたころ、OB名簿が届いた。開いてみるとその先輩の名のあとには(故人)との記載があった。詳細はわからない。)

 このポスターは20歳前後のころ、日本橋の電器屋でせしめた。ステレオアンプを買ったときに、オマケにつけてくれ、とたのみこんだのだ。販促のために、店内に貼ってあったのだった。良心的な店員さんは、わざわざ新品を用意してくれた。
 B1サイズだ( 728mm×1030mm )。けっこうでかい。orphes というのは、当時の、ダイヤトーン(三菱)カーオーディオ部門のブランド名である。ただし、買ったアンプはダイヤトーンではなかった。

 それ以後、自室に貼りっぱなしにしていて、親元を離れたときにも、このポスターを持ち出してあたらしい部屋の壁に貼った。そのころには、なんとなくそれは「そこにあるべきもの」となっていたようである。神札のようなものかもしれなかった。
 しかし、その次かの転居のどさくさで、紛失した。
 転居完了してからしばらくたち、そういえば「フジタニミワコ」があれへんな、と気づいた。そうなると、にわかに困ったような気持ちになり、家捜しをしたものの、ちいさなものではないことと、居住空間がせまいために、すぐに、うしなわれたことが判明、それきりとなった。
 ところがそれから数年後(※今から十数年前)、実家において、洋服箪笥の奥に、新聞紙にくるまれた筒状のものがあるのを発見した。解いてみると、行方知れずになっていた「フジタニミワコ」だった。なんで実家にあったのだろうか。そっちに運んだ記憶がまったくない。いまだに謎である。

 当時は画鋲で留めていた。四隅が穴だらけである。
 現在はポスターフレームに入れて保管している。なにしろ30年のつきあいだ。ここまでくると、もう捨てられない。アイドルのポスターというより、アンティークの魅力で気に入りはじめた。言ってみれば、田舎の物置小屋に打ちつけてあるボンカレーやキンチョールの琺瑯看板のようなものだ。

 ステキだな、と思う女優はたくさんいる。オードリー・ヘップバーン、グレース・ケリー、メリル・ストリープ……。しかし、彼女らの名前では周囲を黙らせることはできない。それが、「藤谷美和子」なら、一発でその場を制圧できるのである。たいしたものだ、と言わざるをえない。
 

 SONY α350
 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC

 

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2008年11月15日 (土)

hero

Umdvd58

 私にとって最初にして最大のヒーロー、ウルトラマン。
 作品としては次のウルトラセブンのほうが上であるけれども、それもこのウルトラマンがあったからこそである。
 セブンについては、大枚はたいて〝コレクターズ・ボックス〟のDVDを買った。できれば、〝マン〟、それにウルトラ・シリーズの原点である〝Q〟もほしい……とよくばりなことを思ってはいたが、思うまででストップしていた。とにかく、この種の特撮モノは値が張って困る。
 そのうちに、と考えていたところ、『ウルトラマン』が、海外では廉価販売されていることを知った。さっそく手に入れた。

 アメリカ製DVDだ。日本の一般的なシステムでは再生不可な「リージョン1」である。しかし、パソコンでなら観ることができる。値段も、全39話を6枚に収めて約35ドルとお買い得。送料込みで5000円足らずだった。
 函は丈夫なつくりではないが、デザインはなかなかすばらしく、製作者のウルトラマンへの思い入れのようなものが感じられ、日本人としてうれしい。
 画質も、鑑賞にはまったく差し支えのないレヴェルだ。
 もちろん、オリジナルの日本語音声も入っている。しかもそれは、デジタル処理され、高音質化されている(という。セリフはモノラル、主題歌と効果音は疑似ステレオという印象)。
 画質・音質とも、国内盤ならおそらくもっと……との思いがどうしても残るものの、この値段ならいたしかたなしであろう。
 英語字幕、英語音声&主題歌の選択も可能で、とくに主題歌は違和感ありまくりで笑える。
 函には、「オリジナルマスターを使うことはできなかったが、入手可能なもののなかから最良のフィルムを選んで使用した」という意のことが記されている。

 「気色悪い」「ケッタイ」……そんな怪獣・宇宙人が好きだった。
 バルタン星人、ダダ、ケロニア、ブルトン、ザラブ星人、ギャンゴ、ドドンゴ&ミイラなど。今、こうして並べてみると、どうやら人間の日常生活にこっそり侵入してくるような敵役を好んでいたようである。そして、そういうのが、今観ても実際おもしろい。
 制作者側もそのことに気づいたらしく、次のセブンではそうしたキャラを主体とし、それが成功の一因となった。

 制作はTBS。あのころは輝いていた。現在の凋落ぶりは目をおおうばかり。
 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4

 

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2008年8月 5日 (火)

続・メタルインドカレー

Metal400570

 一週間ほど前、ほとんど「さよなら、メタルインドカレー」の心境で、涙をこらえつつ拙文を掲載した。
 ところが一昨日、外出していた家人より出し抜けに、「メタルインドカレー、売ってるで」との連絡を受けた。まことにとぼけた声であって、それがどれだけエキサイティングなことなのかを理解していないようだった。ドンと積んであるという。
 10コと言いたいところを気弱に「5つ、6つ」に抑えて、とにかく買っておくよう指示。
 さらに昨日、拙ブログを訪問してくださったMさんからも、兵庫県でメタルインドを発見したとの報告をいただいた。
 どうなっているのか。いよいよこれがメタルインド、最後の光芒なのか。

 いずれ消滅するとあれば捨て置けない。が、もしそうでないのなら……。
 こうなってくると、「いったいメタルインドは、いつごろまで市場に出まわっていそうなのか」が気になりだした。

 当然ながら、販売者の《大同株式会社》にたずねるのがてっとりばやい。
 箱には電話番号が載っている。
 意外な回答があった。
 カレーは現在も製造中というのである。

「そやけど、服部の工場はもうないですよね」
〈ええ。今は西淀川でつくってます。委託ってかたちで〉
「するとなんです? メタルインドカレーはこれからもフツーに食えるってことですか?」
〈そうですね。けっこう需要もありますし〉
 ご安心ください、というニュアンスが伝わってきた。
 現在の大同版メタルインドの外箱からは、《メタル食品》のマークも名も消えている。〝メタル〟とあるだけである。だが、なかのパックにはいまだにメタル食品(MF)のマークが入っている。
〈商標からなにからまとめて引き取ったんですよ。でも、さすがに外箱に(破産した会社のマークを)入れておくのはねえ(笑)〉

 ともかく、中身は以前のままのようである。
 案ずるより産むが易しってことですな。
 メタルインドは生きていた。しかも、やっぱり大阪でつくられつづけていたのである。
 拾う神はいたのであるな。

 メタルインドカレーが手元に6箱。
 それでは安心して、さっそく食ってみるか。
 野菜ゴロゴロ、昭和のライスカレーを、『ウルトラセブン』でも観ながら。『飛び出せ!青春』でもいいかもしれない。
 ちなみにワタシはすじ肉を使います。

 ありがとう、大同株式会社。


【参考】
 続々・メタルインドカレー - レトルトパック登場 → 



 SONY α350
 MINOLTA AF24-85mm F3.5-4.5
 ※ジャガイモ: 富山産
 

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2008年8月 3日 (日)

追悼 赤塚不二夫

Bakabon550

「これでいいのだ!」「反対の賛成!」「国会で青島幸男が決めたのか?」……。
『天才バカボン』の赤塚不二夫が逝った。

 写真は1994年復刊の文庫版『天才バカボン』(竹書房)である。どうしてもまた読みたいと思っていたので、これはうれしい復活だった。私の感覚では、もっと最近の刊行だったような気がするが、それはこの際どうでもいい。ただし、この文庫版では、差別用語などを一部修正したために、もとのギャグから生気がうしなわれている箇所も多少ある(「kichigai」と「聞き違い」とを引っかけるところなど)。
 つまり、私はそんな変更点に気づくくらい、かつて夢中になって読んでいたのだ。
 TVアニメも好きだったのだ。〝元祖〟よりも、最初のシリーズのほうが好きなのだ。
 手塚治虫、石(ノ)森章太郎が逝ったときと同等の寂しさを感じているのだ。
 赤塚さんは亡くなってしまったけど、『天才バカボン』は永久に不滅なのだ! 

 ところで今のニッポン、「これでいいのか?」

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
 

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2008年7月29日 (火)

メタルインドカレー

Metal02

 また一つ、愛すべきものがなくなろうとしている。いや、こちらはもうなくなってしまったか。今年の5月、製造元のメタル食品が破産した。

 純地元会社商品だった。大阪府に豊中市というところがあり、さらに絞って、その南部に服部というところがある。そこにこの、メタルインドカレー(印度カレー)の工場はあった。私が育った町でもある。2歳か3歳時から中学3年の11月まで住んでいた。
 ゆえに当然――と言えるかどうかはともかく、わが家のカレーといえば、メタルインドが基本だった。当時、箱には、シールだったかカードだったかのオマケが封入されてあったような記憶があるが違うかもしれない。

 いまだに食っていた。今年5月の中年キャンプでもメタルインドを使った。昔からキャンプで使うのはメタルインドと決めていた。さらに昔日の味わいを愉しむために、他社製品とのブレンドは避け、コレ一種しか使わないのを常套としていた。
 写真の箱はそのときのキャンプで使用したやつである。私にとって、最後のメタルインドとなった。いずれウェブサイトに写真でも載せたれと思い、捨てずにおいていたのだが、こういう文章を添えることになるとは……。

 味は平凡も、親近感があった。庶民のカレーというかざ(※風味という意の関西弁)が濃厚にしていた。作ってみると、素朴ななかに、ちょっとクリームっぽい味がまじり、見た目は明るい黄色で、乱切りした野菜がよく似合うカレーになった。白無地の安皿で食うとこれまたいっそううまい感じになった。いわゆる〝ライスカレー〟だった。
 ほんの数年前まで、固形ルウはパック入りではなく、アルミ箔につつまれた昔ながらの形態であり、私はそれを不便と思わず、なつかしいと感じてよろこんでいた。

 服部の工場はとうに閉鎖されていたという。名神高速豊中インターのそばにあったはずである。
 うかつなことに、今の今まで気づかなかったが、この箱に記載の住所も服部ではなく守口市となっている。販売者も大同株式会社という企業であり、メタルインドカレーとはしてあるものの、〝メタル食品〟の名はどこにも見当たらない。味に違和感を覚えなかったので、パチモンではないと思うが……。
 過去のニュース記事を検索してみると、メタル食品は9月には事業停止し、商標権なども他社へ譲渡していた――とある。
 ここでの〝他社〟というのが大同株式会社のことなのか。するとそのあたりから、この大同株式会社が、製造ずみだった商品を引き取ったかどうかしたうえで、メタルの名だけは残して売りさばいていたのかもしれない。流通にくわしくないのでよくわからない。ダイドーインドカレーよりはメタルインドカレーのほうが消費者へのアピール度は高いに決まっている。いくら気息奄々とはいえ、メタルのブランド力は捨てられなかった――というところだったか。
 大同株式会社がどういう会社なのか不明だが、カレールウを製造する設備なり意欲なりがなかったので、抱えていたメタルインドカレーが底をついたか、メタル食品の破産をきっかけにしたか、ほかになんらかの事情があったかして手を引いたのだろうか。現在、かつて常時在庫していた店を見まわってもメタルインドを発見することはできない。市場から姿を消してしまったようである。

 つまりは売れなかったわけだ。しかし、マズかったから売れなかったというわけではないだろうし、かりにそうであったとしても、このメタルインドには愛すべきマズさ、いわゆる〝マズウマ〟があった。このマズウマというやつには麻薬的な魅惑があり、ときとして標準的なウマさを凌駕する。

 ソニーがミノルタのカメラを引き継いだように、このメタルインドカレーもどこかのメーカーが引き継いでもエエやないかと思う。
  ♪メタル~インド~カレエ~
 ないとなるとひじょうに食いたくなるものだ。

(追記)
 ちょっと調べてみたところ、大同株式会社は食料品などを輸入、販売している会社のようであり、カレールウの製造とは縁がなさそうだ。やはりこのメタルインドは真正のものとみていい。まだ動けていたころのメタル食品が製造したものに違いない。
 大同株式会社は、それを輸入する感覚で引き取り、売りまくったというのが真相だろう。当然、数には限りがあるので、いずれ市場から消えてしまうのも道理である。が、そうすると、どこかの商店の棚に、あるいはまだ置かれている可能性もある。

 以上、長くなりました。全文読んでくださった方、ありがとう。


 ※実はこの後、続きが……→
 

 SONY α350
 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
 ※タマネギ: 富山産

 

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festival hall

Fh570

 また一つ、愛すべき場所がなくなろうとしている。バーンと建てなおすらしい。
 朝比奈を聴き、チェリビダッケを聴き、クライバーを聴いた。キース・ジャレットを聴き、山下達郎を聴いた。
 タツロー(山下達郎)は、ここを「一番好きなホール」と公言してはばからなかった。

 老朽化がその理由らしいので、それがほんとうなら、建て直しはやむを得まい。が、すこし考えてもらいたい。せめて多少は旧き面影を残してほしいと思うのだ。
 たとえば、この "festival hall" のロゴである。これもおそらくザンシンなものに変更されるのであろうな。
 なんの変哲もない。だからといって、古くさいからといって、捨ててしまっていいのか。
 堂島方面から四つ橋筋を逆行するかたちで歩いてくる。堂島川にかかる渡辺橋を渡り、この文字が見えると、「さあ、聴くぞ」「すばらしいコンサートになるといい」と、そんな気分の高揚を感じたものだ。
 これだけでも、なんとか残してください。お願いします。

 これを撮った日の夜、沢田研二のコンサートがおこなわれた。
 このままでも、まだまだ現役でやれるんやないの?


 SONY α350
 SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC

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