my nostalgic 14 - サクラホクトオー号
サクラホクトオーを買っておいしい思いをしたことはないが、あえて彼をはずし、馬券をとったことはある。
皐月賞だった。
ドクタースパートが優勝、ウィナーズサークルが2着に入線、一番人気のホクトオーは「エエとこなし」に終わった。ただし、ウィナーズサークルは代用、すなわち、私が狙っていたのは同枠にいたスターサンシャインという関西馬だったのであるが……。
また、兄のサクラチヨノオーはダービーを制しており、私はそのレースで単勝をとっている。
「♪とったとった~ \(^O^)/」と景気のいいことを書いたが、競馬の収支はそれこそウルトラ赤字であって、もらったレースを忘れられないだけである。
写真は、引退後のホクトオーが繋養されていた北海道の静内スタリオン・ステーションで撮らせていただいたもの。
このとき、チヨノオーもとなりの放牧スペースにいたが、草を食っているばかりで、いいショットが撮れなかった(※馬というやつはのべつ草をはんでいるので、なかなか顔をあげてくれない)。
親父は〝天馬〟の異名をとったトウショウボーイ。3歳(今でいう2歳)では圧倒的な強さを誇り、しかも関東馬。ダービーをとった兄よりも上、というのがもっぱらの評判だった。
そんなのに私は興味はなかった。
そのエリートが4歳(同じく3歳)になり、もがきはじめた。
もがきながらも、随所できらめきを見せる。
私はホクトオーに、いつしか惹かれるようになっていた。
どこかしら運のなさを感じさせる馬だった。
能力は確実にあった。
2000年に死亡したという。
本命ながら馬群に沈んだ皐月賞は印象に残るが、それよりも、大外からすっ飛んできた、菊花賞での豪脚(5着)が忘れがたい。
以下は余談――。
ところで本日、その菊花賞とか。
競馬からは完全に離れてしまっている。
10月に菊花賞なんて……と違和感をおぼえるほどだ。
土曜の午後、入ったカレー屋のスポーツ紙に枠順が出ていた。
出走馬に知った名はないが、彼らの父母、母の父になつかしい名前がある。
そのうち、ナマで観たのはただ1頭、トニービンのみだった。鳴り物入りで来日したジャパンカップ(於東京競馬場)においてである。オグリキャップとタマモクロスが出るのでわさわざ遠征したのだった(※私はあのレース、(河内ジョッキーがふつうに乗っていれば)オグリキャップが勝ってたはずや、と今でも信じている。優勝はアメリカのペイザパトラー、タマモ2着、オグリ3着、トニービン5着)。
そのトニービンも今は亡い。
今回の菊花賞に出走するトニービンの孫、フォゲッタブルは、前走のセントライト記念では追い込んで3着、とデータをみるかぎり、長丁場がプラスにはたらきそうなレースをしている。
複勝で遊んでみようか(笑)
■ サクラホクトオー 14戦05勝
(父)トウショウボーイ (母)サクラセダン (母の父)セダン
MINOLTA α707si
TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
FUJICHROME Velvia (ISO50)
scanner: CANON LiDE 600F
place: 北海道静内町(現新ひだか町)の静内SSにて
date: 1995年09月
【シャコンヌ狂時代】 デネシュ・ジグモンディ Denes Zsigmondy ( Z )




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