追悼

2009年11月12日 (木)

追悼 - 森繁久弥

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 『夫婦善哉』(1955)  森繁久弥 淡島千景
 

 殺人容疑で指名手配されていた犯人が大阪で捕まったらしいと聞き、テレビを観ていたら、モリシゲが死んだという報が流れてきた。
 テレビをビデオに切り替えた。
 なんとなく、映画『夫婦善哉』を観たくなった。

 VHSを段ボール箱のなかから発掘してきた。
 これは昔、大阪の食べ歩きのようなものをやって、織田作之助ゆかりのナンバの《自由軒》や、オダサク自身の墓がある寺(※楞厳寺(りょうごんじ))を訪ねたりしたことがあり、そのときに参考資料として編集者からもらったものである。今は、DVDになっているようだ。

 個人的に忘れられないのは、『屋根の上のバイオリン弾き』の舞台だ。
 友人から、「チケットもろたんやけど行くか?」と誘われて観に行った。20歳のころだったから、もう30年ちかく前のことである。
 場所はどこだったろう……大阪フェスティバルホールのような気もするが、もっとせまかったように思う。厚生年金ではないだろう……ああ、たぶん、梅田コマだったのではないか……。
 ハッキリと思い出せない。トシだ……。
 他の出演者の顔ぶれで憶えているのは、ホーデル役が安奈淳さんで、パーチック役が『飛び出せ!青春』に出演していた谷岡行二であったことくらいだが、とにかく、あのときの感動が、ほんのりとあたたかいかたまりとなって、今も心の底に転がっている。

 私は、自然な演技を自然にやれる役者が好みで、森繁などはまったくそのタイプの役者だった。社長シリーズは以前、CSで繰り返しやっていたのでよく観た。
 大阪ものでは上の『夫婦善哉』のほか、『桂春団治』なども印象に残っている。
 また、『サラリーマン忠臣蔵』を好きで、年末は本道の時代劇より、こちらを観ることが多い。

〝モリシゲ〟は苗字ではなく、愛称だった。

 また一つ、空席が生まれた。そんな寂しさがある。
 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)
 

【訂正】
 調べてみると、谷岡はピーチックではなく、フョードカ役であったそうだ。この記憶には自信があったのだが……。

 テヴィエ 「ところで、パーチック」
 ピーチック(間髪を入れず) 「ピーチックです!」

 そんなやりとりをする場面があり、それがモリシゲと谷岡とのものとして脳みそに刻みこまれてしまっていた。
 記憶なんてアテにならんですな……。

 

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2009年8月10日 (月)

映画『居酒屋兆治』 - 追悼 大原麗子

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 連日〝のりピー〟である。
 おかげで彼女の死は隅に追いやられてしまった。

 どちらがいい女か――。
 大原麗子に決まっている。

 女優として魅力的であるのはもちろん、私はとくに彼女の目の光と声が好きだった。

 手許に『居酒屋兆治』があった。
 代表作とは言えないだろうが、ともかく、それを鑑賞して偲んだ。

 

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2009年5月 3日 (日)

RCサクセション 『トランジスタ・ラジオ』 - 追悼 忌野清志郎

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Rctr58
 

 〈以下は、本館に保管していた雑文の再掲載です。〉

  ♪WOO 授業をサボッて
   陽のあたる場所に いたんだよ
   寝ころんでたのさ 屋上で
   たばこのけむり とても青くて
   内ポケットに いつも
   トランジスタ・ラジオ

   ――詞・曲 / 忌野清志郎 G.1,238, 471  編 / RCサクセション

  ……………………

  中学生か高校生らしき少年が、退屈な授業をすっぽかしてラジオを聴いている。それも国内の放送ではなく、海外放送のようである。最新のロックに夢中なのだ。はやいとこ、こんな学校出て……と大きな夢を思い描いているとも想像される。で、音楽に集中しているかと思えば、ちゃっかり彼女のことを思い浮かべたりもする。

「今から××(※教師の名)やな、天気もええし……やめとこか」
 そんなことをほざき、ツレと学校を抜け出す。喫茶店に行こうにもカネがない。で、缶ジュース買って、校庭の隅とか、近所の公園のベンチで、クソ生意気にもタバコ吸いながらチンタラする。そんな経験はだれにもあるにちがいない。

 青春をテーマにした唄はたくさんあるが、どれにもこれにも、大なり小なりつくりものくささがあるものだ。その点、『トランジスタ・ラジオ』は自然そのもので、違和感がなく、まさに着古した学生服のようなフィット感があった。
 私にとって、不滅の青春ソングである。ラジオといえば夜、と思いがちなところ、この唄は真っ昼間からラジオときた。そこもいい感じ。

 


 『トランジスタ・ラジオ』を、私の〝不滅の青春ソング〟と書いた。
 すぐれたミュージシャンはすくなくない。だが、そんな唄を残してくれるやつなんて、そうしばしば現れるものではない。

 キヨシローが燃えつきた。

 酒だ。酒しかない……。


  RC SUCCESSION: 『トランジスタ・ラジオ』 ( 1980 )
   (Kitty RECORDS 7DK 7002  EP)
 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO

 

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2008年11月11日 (火)

ジョージ・ウィンストン 『オータム』 - 追悼 筑紫哲也

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George Winston: AUTUMN (Windham Hill Records WD-1012)

 筑紫哲也が死んだ。
 73歳だった。若いが若くない、とでもすべき年齢であるだろうか。まったく、平均寿命なんて、なんの目安にもならない。
 私は、いくら話術にたけていようが取材経験のとぼしいアナウンサーなどが報道番組のキャスターになるべきではない、と考えている。ここ数年、テレビ自体をほとんど観なくなっているが、筑紫氏の『NEWS23』はたまに観ていた。
 筑紫氏逝去関連のニュースを見るために、朝のチャンネルをハシゴしていたら、いみじくも、みのもんたと小倉智昭が同じことを口にした。
 芝居やコンサートの場で遇うことがあった――というものである。

 20年以上前、大阪の《ザ・シンフォニーホール》2階ロビー(グランド・ホワイエ)の、灰皿の設置してあるシートで、例の〝サファリ・ルック〟の氏と隣同士になったことがある。
 ジョージ・ウィンストンというピアニストのコンサートだった。
 人気沸騰、プラチナチケット――とはほど遠い、と言っていい。最上の席でも5000円までだったはず。しかも、大阪だ。スケジュールに合わせてチケットを入手されたのだろう。ファッションではなく、ほんとうに好きで来ている、と感じた。私には、こういう人たちは、有名ブランドオーケストラかオペラあたりにしか関心がないものと決めてかかっているところがあった。
 別に連れをともなうでなく、独りでくつろいでおられた。私も私で、タバコをふかしてパンフレットなどをながめていた。

 以上、ただそれだけのことであるが、ふと、あのときのことを思い出し、10年以上聴いていなかったこのアルバムをひさしぶりに聴いてみることにした。
 この『オータム』、当初はLPでもっていたが、友人にゆずってしまって手元にはない。CDが出、そっちに乗り換えたからである。
 今聴くと、いかにも軽く、「ちょっと一杯」というほどまでには動かされないが、20歳前後のころは、これでじゅうぶん酒が呑めた。
 人気はCMにも使われた3曲目の"LONGING/LOVE"だろうが、私は5曲目の"MOON"が好きだった。日本の琴の音色をイメージして作曲した、とジョージ・ウィンストン本人が語っていた。

 私がこれ(LP)を買ったのは高校3年生のときで、梅田にあった《大月楽器》においてであった。コチコチのクラシック・フロアで、えらくめずらしいのをかけている。「なんですか、これは」とたずねた。「最近出たんですよ。たまにはこういうのもね」と、答えはそれだけだった。
 まあ、つまり、私も気に入って、その日はこの『オータム』を入れた袋をさげて帰ったというわけです。

 ジョージ・ウィンストンのCDは現在、手元にはほかに『サマー』がある。これはだいぶあとになって出たもので、すでに彼のディスクを聴かなくなっていたが、なつかしくなって手を出したものだった。
『ディセンバー』と『ウィンター・イントゥ・スプリング』をそれぞれLPでもっていたが、これらも知人に進呈した。いずれCDで買いなおそうと考えてのことであったが、ついに買わずじまいである。私は『ディセンバー』をもっとも好んで聴いていた。せめて、それだけでも、ひさしぶりに買って聴いてみようか……。
 コンサートには、80年代に3回か4回、足を運んだ。
 裸足で(※靴下は履いている)ピアノを弾いていた。ヒゲモジャの若ハゲ男だった。ワークシャツとジーンズという、木こりをイメージさせるようないでたちだった。
 今でも来日して、人気を博しているようである。私はもう、行くことはなさそうであるが……。
 

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO

 
 

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2008年10月31日 (金)

追悼 ポール・ニューマン

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 北海道に到着した翌日の朝、宿泊先(※小樽《渡どり哲也》)のテレビで訃報に接した。
 そのすこし前に、余命半年であると本人も自覚しており、余生を自宅で……と退院した――という話を聞いていた。私はそのとき、なんとなくいさぎよさのようなものを見た気がした。さすがは「クール・ハンド・ルーク」、と思わされたものである。

 俳優に対し、初めて〝ファン〟というものになったのがポール・ニューマンで、小学校5年生のとき、彼の『暴力脱獄 ( COOL HAND LUKE )』をTVで観たのがきっかけだった。
 以来、好きな俳優を訊かれれば、彼の名を挙げてきた。

 写真に撮った4作( 『暴力脱獄』『評決』『明日に向って撃て!』『スティング』 )が好きだ。
 彼のみごとさ、カッコよさはむろんのこと、共演者もまたすばらしい。
 ジョージ・ケネディ、ジェームズ・メイソン、ロバート・レッドフォード。女優は、シャーロット・ランプリングとキャサリン・ロス……ともう最高。

 年末に、もう一度じっくり観てみるとしよう。

 すばらしい俳優だった。

 

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2008年8月 3日 (日)

追悼 赤塚不二夫

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「これでいいのだ!」「反対の賛成!」「国会で青島幸男が決めたのか?」……。
『天才バカボン』の赤塚不二夫が逝った。

 写真は1994年復刊の文庫版『天才バカボン』(竹書房)である。どうしてもまた読みたいと思っていたので、これはうれしい復活だった。私の感覚では、もっと最近の刊行だったような気がするが、それはこの際どうでもいい。ただし、この文庫版では、差別用語などを一部修正したために、もとのギャグから生気がうしなわれている箇所も多少ある(「kichigai」と「聞き違い」とを引っかけるところなど)。
 つまり、私はそんな変更点に気づくくらい、かつて夢中になって読んでいたのだ。
 TVアニメも好きだったのだ。〝元祖〟よりも、最初のシリーズのほうが好きなのだ。
 手塚治虫、石(ノ)森章太郎が逝ったときと同等の寂しさを感じているのだ。
 赤塚さんは亡くなってしまったけど、『天才バカボン』は永久に不滅なのだ! 

 ところで今のニッポン、「これでいいのか?」

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
 

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