2009年10月14日 (水)

山本周五郎 『なんの花か薫る』

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 ハチの名も、花の名もわからぬ。

 山本周五郎の短編に『なんの花か薫る』というのがあって、見知らぬ草花に出くわすたびに思い出されるのである。
 娼妓とボンボン侍との、みじかくもせつない物語で、本来ならドタマに来るような話を、周五郎は、まさしく、花の薫りで包むような品格の筆致で描いている。
 並の腕なら、そのままに怒りか唖然の結末となるところ、やるせなさを呼び起こしながらも、すがすがしささえ感じさせるものに仕立てあげている。さすがのひとことだ。

 最近、読書とは、ほとんど間遠。トイレのなかで読むくらいである。
 読書の秋、ともいう。
 パソコンもテレビもない部屋で、イッパイやりながら、周五郎でも読みますかネ。
 

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
 place: hyogo


 【追記】 花はどうやら「フジバカマ(藤袴)」(※園芸種)。七草の一で、実際は無香の由。

 

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2009年7月16日 (木)

大山鳴動鼠零匹

 唖然だった。
 内閣不信任決議案。自民に造反ゼロ。
 大山鳴動して鼠一匹どころか〇匹とは……。
 もとより、大山というほどのヤマではない、という見方もできるか。
 宮澤賢治の詩を引用する。ちなみに80年前の作品だ。


   『政治家』

 あっちもこっちも
 ひとさわぎおこして
 いっぱい呑みたいやつらばかりだ
 (中略)
 けれどもまもなく
 さういふやつらは
 ひとりで腐って
 ひとりで雨に流される
 あとはしんとした青い羊歯(しだ)ばかり
 そしてそれが人間の石炭紀であったと
 どこかの透明な地質学者が記録するであらう

 (新潮文庫『宮澤賢治詩集』より)

 ………………

 ところが、なかなか腐らんのや。
 いや、とうに腐っとるのに流されよらんのや。
 この調子じゃ、「どこかの透明な地質学者」は日本人ではないかもしれんです。

 

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2009年4月18日 (土)

『サントリークォータリー』休刊

 サントリーの広報誌、『サントリークォータリー』が休刊するという記事に接し、なんとなくビールが飲みたくなった。
 実際、飲みましたけどね、ヤキトリの缶詰で。
 休刊とはいいますが、どうなんでしょうね、再出発したら、名前は変わるでしょうな、たぶん……。

 書かせてもらったことがあるんです。2回だけですけどね。
 その1回目の仕事で、生まれて初めて沖縄に行った。
 なにしろ、ワタシはそれまで、47都道府県のうち、唯一沖縄だけを踏んでいなかった。ことさらに印象深いんですな。
 ワタクシごときに話がきて、しかも校了までそれほど日がない。「ドタキャンでもありましたか?」と訊き返したのを今でもよう憶えてますよ。

 その次の仕事のとき、衝撃的なよろこびがあった。
 ちょうど来日中だったか、直前だったかの、ウィーン・フィルの公演チケットをくださった。唐突にくださったんです。サントリーは文化事業に力入れてましたから、ウィーン・フィルとも関わりがあったんですね。

 「秋山さん、クラシック、好きですよね?」「ええ、まあ……」「ウィーン・フィルのチケット、あるんですけど、よかったらどうですか?」「いくらですかね?」「いえ、プレゼントです」

 あんなこと、もうないでしょうな。それにしても、あれはうれしかったねえ。なんでワタシがクラシック・ファンというのを知ってはったんやろか。沖縄取材のときに、そんなことをしゃべったのかもしれませんですね。
 指揮はリッカルド・ムーティ。ショスタコーヴィチの『第5』とシューマンの『第2』をやった。ムーティは、羽賀研二に似ており、愛想のない男でしたが、シューマンはなかなかよかったです。
 ワタシにはそれ以前に、クライバー&ウィーン・フィルのチケットを押さえておきながら、クライバーが急病、来日とりやめになり(※代打シノーポリ)払い戻した――という経験がありましたから、とにかく、ウィーン・フィルを聴けたのがうれしかった。

 まァ、そんなことよりもね、とにかく気持ちのいい人たちと仕事ができた、ワタシにはそれが忘れられないんです。
 2回のおつきあいで、なにか、私がやった仕事以上のものをもらった気がしますね。
 だからというわけでもないが、自分で買って飲むビールは、サントリーのプレミアム・モルツと決めている。

 お世話になったUさん、Yさん、その後退社されたらしいけど、お元気でしょうか。カメラマンのSさんもどないしてはるかなァ……。

 なんか、遠い昔のことのようです。
 最近、さびしいこと、目につくな……フェスティバルホールとか。
 トシ食ったんでしょうね、それなりに。
 

Sq03  

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)
 ※新聞は《朝日新聞》


 【シャコンヌ狂時代】 イゾルデ・メンゲス ( M )

 

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2009年3月20日 (金)

写真を観る

Photo58
 
 私も普段は、下手の横好き、デジカメの手軽さで、手近な風物を撮り漁り、さらにはそれを公開するという厚顔ぶりであるが、たまにはカメラを置き、一鑑賞者としてプロの仕事をじっくりながめたくなるものだ。
 夜、静かに酒を呑みつつ、ページを繰る。その都度、あたらしい発見と驚きがある。
 いずれも銀塩モノクロの作品集であり、LPレコードに針を落として耳をかたむけるのに似た快感を覚えたりもする。


  小島一郎写真集成 (インスクリプト刊 4090円税込 241頁)
  風間健介写真集『夕張』 (寿郎社刊 5040円税込 199頁)


 小島一郎(1924-1964)は東北(一部他地域)、風間健介(1960-)は北海道夕張、といずれも題材を厳寒の地に求めている。

 自然はその本性をむき出しにし、人々は虫になって踏んばり、しがみつく。そんな土地でこそ、人間の営為は克明に浮き彫りにされるのに違いない。小島はそれをむしろ優しいまなざしをもって活写している。
 風間の『夕張』では、人物をフレームの外へ遠ざけた作品を、あえてセレクトしているようである。にもかかわらず、身を震わすような人間の慟哭がえぐるように刻印されている。ここに写されている数々の〝夕張〟は、まるで飼い主に見捨てられ、しかもつながれたままの犬のようだ。気息奄々であるとはいえ、かろうじて生命を維持している。その意味で、彼の作品はいわゆる〝廃墟写真〟ではない。ここには滅びへ向かう街の弱々しい最後の光芒があり、それが荘厳なものとして観る者に迫ってくるのである。
 両作品集とも、破格の重量と迫力であり、まるで写真家が、カメラで「叫んでいる」かのようだ。

 風間健介は友人であり、親しい者への讃辞は割り引かれてしかるべきものだが、この場合に限っては、その必要はない、と断言しておきたい。
 あんな酔ったぶれのどこからこんな雄渾な作品が生まれるのか……。『夕張』を鑑賞しながら、あるいはしたのち、私はいつも感心するのである(笑)。
 

 SONY α350
 SONY α50mm F1.4(SAL50F14)

 

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2008年8月 3日 (日)

追悼 赤塚不二夫

Bakabon550

「これでいいのだ!」「反対の賛成!」「国会で青島幸男が決めたのか?」……。
『天才バカボン』の赤塚不二夫が逝った。

 写真は1994年復刊の文庫版『天才バカボン』(竹書房)である。どうしてもまた読みたいと思っていたので、これはうれしい復活だった。私の感覚では、もっと最近の刊行だったような気がするが、それはこの際どうでもいい。ただし、この文庫版では、差別用語などを一部修正したために、もとのギャグから生気がうしなわれている箇所も多少ある(「kichigai」と「聞き違い」とを引っかけるところなど)。
 つまり、私はそんな変更点に気づくくらい、かつて夢中になって読んでいたのだ。
 TVアニメも好きだったのだ。〝元祖〟よりも、最初のシリーズのほうが好きなのだ。
 手塚治虫、石(ノ)森章太郎が逝ったときと同等の寂しさを感じているのだ。
 赤塚さんは亡くなってしまったけど、『天才バカボン』は永久に不滅なのだ! 

 ところで今のニッポン、「これでいいのか?」

 SONY α350
 TOKINA AT-X AF100mm F2.8 MACRO
 

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