my nostalgic 2 - 旅と旅行
旅と旅行の違いとはなにか?
たずねられることがある。旅には「人」が付き、旅行には「者」が付く、と応えたりする。そんなもん一緒や、と片づけてしまえば簡単な話であるが、なんとなく違っていそうな気もする。あえて私なりの考えを述べてみよう。
遠近ではなく、長短でもない。つまり、エベレストであろうが六甲山であろうが関係なく、マダガスカル島であろうが淡路島であろうが関係なく、1年であろうが日帰りであろうが関係がない――。
自力か他力の違いである。すなわち、おのれが主であるか客であるかの違いである。
したがって、旅行会社の企画係にまかせたツアー参加、要するに、他人まかせの旅行などは、いくら大冒険であっても〝旅〟とは呼びたくない。
中央アルプスの木曽駒ヶ岳に登ったときのことだ。
だれもいない登山道をモクモクと登った。下山者ともほとんどすれ違わない。9月だった。夏山のシーズンは過ぎている。おそらく自分のうしろにも前にも登山者はほとんどいなかったろう。
頂上に到達しておどろかされた。そこでは、スニーカーを履いたおっちゃん・おばちゃん・子どもたちが闊歩していたのだ……。
理由はロープウェイだった。ミナサン、それに運ばれてくるのである。
自分の脚を使うか、乗り物を使うか。自力か他力か。
オレの目的は「観光」ではなく、「登山」だ。だから、ふもとの木曽福島から自力で登るのは当然のことである。そしてもちろん、登るだけが登山ではない。高山植物を愛でたり、下界を俯瞰したり、記念の石ころを拾ったりする愉しみも、すべてそこに含まれている。
その夜はブルブル震えながらテントからはい出し、ウィスキーを口にふくみながら、すさまじいばかりの星の群れに圧倒された。
ここまで自分の脚で登ってきたからこその星空だ。そんな思いがよぎり、叫びたい気持ちをかろうじておさえた。ついで、興奮のなか、静かに思った。この美しさ、この酒のうまさ、ロープウェイ組にわかってたまるか、と。
旅と旅行の問題と通底しているかもしれない。
ところで写真は、佐渡島の赤泊港にて。
翌朝のフェリーの時間がはやかったためか(※憶えていない)、港の待合室前に、テントは張らず、マットだけを敷き、シュラフにくるまって寝た(※施錠されていて、待合室のなかには入れない。せっかくの自販機も使えぬわけだ……)。わびしい夜も、のちにはむしろいい思い出となる。
旅の途上では、船着き場でフナムシと眠り、蚊に血を奪われつつ朝を迎えることだってあるのです。
MINOLTA α707si
MINOLTA AF24-85mm F3.5-4.5
KODAK GOLD 100
scanner: CANON LiDE 600F
place: akadomari, sadogashima, niigata
date: 08/1994
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コメント
私の先生の本『人は鯨であって、マグロではない』(三五館)に
旅=感受性、感性、意志を軸として自らの判断による空間的、時間的移動のこと
旅行=主として他者による立案、企画、スケジュールを中心とした空間的、時間的移動のこと
とあります。
でもテツさんの『おのれが主であるか、客であるかの違い』の方が、分かり易い。
これから師匠と呼びます。
『われわれも豊かな感受性と鋭い感性を大切にしたい。そのためには旅はきわめて大切なもの』(同書から引用)
ちなみに名前はチュミ男がつけてくれたが、名字は『片』より『騙』の方がふさわしい。
投稿: 片楊丙 | 2008年8月28日 (木) 15:35
>片楊丙さま
毎度お世話になっております。
師匠はカンベンしてください……(苦笑)
アンタにとって旅とはなんぞや? という問いもありますね。
それに対しては、私は、『自分がどういう人間かを教えてくれる先生』と答えることにしています。
独り旅に出ているときほど、自分と向き合うことはないからですからね。ちょっとキザですが。
それでも、いっこうに成長せんのがツライとこですワ(笑&涙)
投稿: fefefe | 2008年8月28日 (木) 18:44