スクーター乗っ取り猫
SONY α350
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
Sさんを偲ぶ会を開催した。
SONY α350
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
place: 季節料理の店《六甲》(豊中市本町)
泣くが嫌さに……というわけでもないけれども。
ふと聞こえてきたのが、チャップリンの映画『モダンタイムス』のエンディング・テーマ。
あの名旋律に、あとからジョン・ターナー&ジェフリー・パーソンズが詞をつけ、『スマイル』という唄に仕上げた。
ナット・キング・コールから、だれそれから、現在にいたるまで、いろんなひとがカヴァーしている。
その『スマイル』の入ったディスク、そう言えば……と思い出したものだけでも4枚出てきた。
まず2枚。
左)名人デュエット、トニー・ベネット&バーブラ・ストライサンド。(トニー・ベネット『デュエット』に収録)
右)北欧美女、リーサ。(『エンブレイサブル』)
次の2枚は歌なしヴァージョン。頭のなかで歌詞を載っけて聴く。
左)岸ミツアキ(ピアノ)(『マジカル・ジャズ・カフェ』)
右)ビージー・アデール(ピアノ)(『マイ・ピアノ・ロマンス』)
岸ミツアキは本格ジャズ。
ビージー・アデールは軽いが、歌詞にふさわしい優しさがある。
ディスクはもってないが、マイケル・ジャクソンのもステキだった。( YouTube )
SMILE
composed by Charles Chaplin
lyrics by John Turner & Geoffrey Parsons
Smile, though your heart is aching
Smile, even though it’s breaking
…………
You'll get by
You'll find that life is still worthwhile
♪心が折れそうなら、
さあ、笑顔。
なんとかなるサ。
人生、まだまだ捨てたもんじゃない。
バッハ マタイ受難曲BWV244
Johann Sebastian Bach: Matthäus-Passion BWV244
カール・リヒター / ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団ほか( 1958 )
Karl Richter / Münchener Bach-Orchester, Bach-Choir
( ARCHIV PRODUKTION-Japan POCA-2006/8 CD-JPN )
この数日間、マタイしか聴いていない。聴く、というより流しっぱなしという状態である。
7日、Sさんが死んだ。よき先輩、よき仲間、そしてよき友人だった。私がノーテンキにも前回の記事、「しあわせになりたければ……」を書きなぐったあの日の早朝のことだった。
その日の午後、私は、梅田でチャップリンの『ライムライト』を観ていた。その間に、友人、Sさんの息子などが、何本もメール・電話をくれていたものの、鑑賞中は当然、携帯電話の電源を切っていた。
(さて、ビールでも飲むか……)
劇場の階段をおりながら、おもむろに電話を手にし、オン状態にもどした。ほどなく、事実を知った。
こうしたときに、このマタイ受難曲が適当なのかどうか、知らない。わからない。どうでもいい。
ともかく今、この音楽が、このバッハのマタイが、ありがたい。
落ちこんでいてもしょうがないのはわかっている。が、私は古今亭志ん生の言葉を思い出さずにおれぬ。
「とことん悲しんでやるのが死んだやつへの供養になる」
まちがいなく、50年の人生で、もっとも悲しいできごとだった。
それにしても、悲しみもここまで極まると、なにやらアホらしくなってくるから妙である。
女々しいと言われようがなんと言われようがかまわない。しばらくはこのリヒターのマタイを聴きつづけます。
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酔っぱらったら一日幸福
結婚したら一年幸福
BMW(ビーエム)乗ったら一生幸福
古いBMWの広告です。facebookで見つけました。
元ネタはおそらく中国のことわざでしょう。
たしか――。
一日幸福になりたかったら酒を呑め
一週間幸福になりたかったら豚を殺して食え
一生幸福になりたかったら釣りをおぼえろ
というのが、開高健のエッセイにありました。
最後の「釣りをおぼえろ」は、ひょっとすると開高サンの創作かも。
一生はムリとしても、できるだけ長く乗っていたい。
私もツーリングで、何人ものカッコいいおっさんライダーに遇いました。カッコ悪いのもいますがね(笑)
ともかく。
BMWでなくても、おっさんライダーてのはなかなかエエもんです。
手前味噌ですが。

バッハ マタイ受難曲BWV244
Johann Sebastian Bach: Matthäus-Passion BWV244
エリオット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ モンテヴェルディ合唱団ほか( 1988 )
John Eliot Gardiner / The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
( ARCHIV PRODUKTION-Japan POCA-2501/3 CD-JPN )
年末、バッハの『マタイ受難曲』を全曲通しで聴いた。
またそのすこし前、黒澤明監督作品『赤ひげ』をDVDで鑑賞した。劇中、こんなセリフがある。
「人間の一生のなかで、臨終ほど荘厳なものはない」
『マタイ受難曲』において、私が個人的に、もっともすばらしいと思うのは終曲である。
突如吹きはじめたすさまじい風が、肉体を離れた魂を天へと連れ去ってゆく。
「お休みください安らかに!」
残された者たちの強い哀悼をこめた歌声が響きわたる――。
荘厳さと寂寥が胸に迫る、まことに感動的な〝光景〟だ。
私的愛聴盤は、リヒターの旧盤(※1958年録音のアルヒーフ盤)を筆頭に、鈴木雅明盤、ガーディナー盤などで、世評もそのあたりに集まっているようであるが、これほどの音楽になると、だれがどうやろうと伝わるものは伝わってくる。
今回はガーディナー盤で聴いた。
ひじょうにととのった演奏で、劇的要素にとぼしいきらいがないではないが、なんといっても合唱(※モンテヴェルディ合唱団)がすばらしい。うますぎて、もうちょっと人間臭さがほしいくらい……と言ってしまってはぜいたくというものであろうな。
終曲では、余裕をかましすぎたか、ややもの足りぬ感もある。このあたりは、荘重なリヒター盤がいい。
以下、余談――。
昔、引っ越しした際、運送業者にたのむほどのものでもないと思えたので、休日を利用し、友人の手を借りて荷物を運んだ。
2週2回に分けて運搬することにした。
1回目を終えたとき、ステレオ装置はあるのだが、ディスクが一枚もないという状況下に置かれた。ディスクを梱包した箱を積み忘れてしまったのである。
なにも聴くことができない。
困ったな、と思っていたらCDプレーヤーのトレイに一枚だけ入っているのに気づいた。
リヒターによる『マタイ』旧盤のCD、3枚組のうちの3枚目だった。
私は残りの荷物を運ぶ次の休日までの一週間、それだけを聴いてすごした。
『時代おくれ』 ( 1986 )
歌 / 河島英五 詩 / 阿久悠 曲 / 森田公一
( 株式会社CBSソニー
07SH 1804 EP )
2011年、終わりですね。
毎年恒例の「今年の漢字」は「絆」だった。
では、自分の「今年の漢字」は……。
縁。
ほかに浮かばない。
今年、古い友人と再会、交遊が復活したり、のみならず、あたらしい友人ができたりした。
♪昔の友にはやさしくて かわらぬ友と信じこみ
……………………
人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい
この歌を聴き、この詞をかみしめながら一年を振りかえり、そしてあたらしい年を迎えたい。
みなさん、今年一年、ありがとう。
よいお年を。
「金本選手の『6』」が永久欠番になる(かも)という話を耳にした。
これについてワタクシ、どうしても納得できませぬ。
言っておくが、これは金本の実力を認めていない、ということではない。
私は小学生のころ、熱烈なタイガース・ファンであり、また、藤田平選手のファンだった。
「阪神こどもの会」に入会し、野球ごっこにおいては右打ちを左打ちに変え、たいていの野球少年がやっていたように、銭湯へゆけばまず好きな選手の背番号、すなわち私の場合は(藤田平の)『6』の札を押さえにかかったりした。
金本選手のすばらしさは認める。だが、永久欠番てのは、その球団ひと筋で現役を終えたか、それに準じた選手にあたえられるべきものではあるまいか。
金本選手の場合、広島でもみごとな成績を残しているし、しかも、調べてみたところ、カープでの在籍期間のほうが長い。今でも、「広島の金本」と信じているファンも多いはずだ。
いや、もとより私の個人的な見解として、永久欠番という「手続き」が、わざわざ必要なのか疑問である。
その番号を背負っていた選手があまりにも偉大なら、だれもつけない、つけようとしない、すなわち、放っておいても欠番状態になるだろう。そして、それこそが真の意味での〝永久欠番〟といえるのではなかろうか。
それはいいとして。
なにが言いたいかと言えば、要するに、「それやったら、藤田平が引退したときに、『6』は欠番になってなアカンやろ~!」
――ということなんですな、かつての藤田平ファンとしては。
ご再考願えんですかしら?
生まれて初めて、ボクシングをナマで観戦す。
この興行に関わっている友人からチケットをもらった。
おもしろい。
そして、美しい。
SONY α350
TOKINA AT-X Pro AF80-200mm F2.8
place: 淀川区民センター
2011年も、残すところあと1週間。
さあ、最後や最後!
誘い誘われ
出てこいや
断りたくても断れぬ
出てこいや
断られても受けつけぬ
脱いだズボンを履きなおし
またぞろ街へまっしぐら
ついでつがれて
呑まれて呑んで
呑めやうたえの大騒ぎ
そして翌朝床のなか
オイラいずこで果てたやら
どうせ今宵も夜のなか
オイラいずこで果てるやら
Happy Holidays!
SONY α350
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
※BMW F650GS(twin)
それにしても、今年は昔に縁のあったひととの再会が異常に多かった。
これは来年あたり、なにかあるに違いない……。
それはさておき、締めくくりはこのひとである。
元S潮社・M氏だ!
私がなにを血迷ったか小説らしきものを書き、大胆にも応募したのが、S社主催の新人賞であった。発表誌は《小説S潮》で、M氏はそのとき編集長をしておられた。
先日、突然、電話がかかってきた――。
〈今度、大阪に行くんだけどさァ……〉
「ほう、それはそれは……また、なんぞうまいもん食わしてくださいヨ」
ま~、あのころは、いろいろお世話になりました(今も……ですけどね(笑))。
しっかしワタクシ、仕事せなんだなあ……(スミマセン)。
おおきに。ごっつぉさんでした。
またヨロシク。
PENTAX Optio M50
place: 長堀橋
土曜日――。
なんばで『夜の大捜査線』を観る。
もう、ホンマ、とにかく、なんしか好きな作品。
邦題今イチなのが玉にキズか。
鑑賞後のビール最高!……毎度のごとし。
今年もいよいよ……という感じになってまいりました。
いろいろあった、今年はホンマに。
それにしても、昔のツレと再会する機会がいやに多かった。
そろそろ終焉がちかづいているのか……。
7月、30年ぶりに会うたO。
オレが単車で事故り、ひと月入院したとき、見舞いに来てくれた。しかし、オレが退院したその日で入れ違い。来てくれたことを人づてに聞いていた。「すまなんだ」と30年ぶりに言うことができた。
先日12日、30年ぶりに会うたH。
高校時代、Hの部屋で呑み、過激にコークハイを呑んだオレは、そこで、その部屋で、座布団の上に〝ゲゲゲの鬼太郎〟をやってしまった。生まれて初めての経験だった。ある意味、歴史的な日だったかもしれない。ともかく、「すまなんだ」と30年ぶりに言うことができた。
いろんなやつに不義理をしたり、迷惑をかけて生きてきたが、ともかく!
元気でやってりゃ、生きてりゃ、いつかこうして詫びのひとつもいれられるってことですな。
シーヴァスでコークハイをやってみる。
あのときはレッドだったな……たしか。
まさに、なつかしの味!……デス。
SONY α350
TOKINA AT-X Pro AF80-200mm F2.8
高速すっ飛ばして、郡上八幡に行ってきました。
日帰りはキツイ。
トシだ……。
土産は地酒、いつものごとし。
SONY α350
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
place: 岐阜県郡上八幡《平野本店》
※『積翠(せきすい)』(平野本店――郡上市八幡町)
グールドを聴きたくなった。
手にしたのはゴールドベルク変奏曲。彼にとって2回目のスタジオ録音盤。デジタル・レコーディング。LPレコード。
これは1982年、グールドが死んで間なしにリリースされた。
発売日当日かその翌日に、梅田の《大月楽器》へ買いに走ったのを憶えている。たしか12月の初旬、つまり、ちょうど今ごろだった。
当然のようにCD化されているが、買いなおしていない。
したがって、手許にあるのは最初に買ったこのアナログ盤のみである。
1回目の録音もすばらしいが、私は個人的に、このあたらしいほうを好んでいる。
私にとって、グレン・グールドは特別、不思議な存在だ。
たとえば今日、単に「ゴールドベルク変奏曲が聴きたい」心境だったなら、グールドではなく、ほかの演奏を選んでいたかもしれない。冒頭に記したように、「グールドを聴きたい」ときがある。
かといって、大ファンかといえば、そうでもない。普段は忘れている。それがなぜか、唐突に、むしょうに聴きたくなる。ほとんど一日中、流していることもある。よくわからぬ。
「曲はなんでもいいから、とにかくそいつの演奏を聴きたい」と思わせるのは、ほかに指揮者のフルトヴェングラーぐらいしかいない。
それにしても、あれからすでに30年か。
絶句。
バッハ ゴールドベルク変奏曲BWV.988
Bach: The Goldberg Variations BWV.988
グレン・グールド(ピアノ)
Glenn Gould (p)
( CBS SONY 28AC-1608 LP-JAPAN ) ※recorded in 1981
SONY α350
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
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